トピック

ゲーテと植物I

長田 敏行 

文豪ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe,1749-1832)について今更専門家でもないものが何か述べる余地があるだろうかという思いに捉われていた。また,日本語でゲーテと植物を話題にした研究論考等も多少あることも知ったので,私が何かそれに関して述べる必要もないだろうとも思っていた。しかしながら,ゲーテとイチョウについて本ニュースレターに書いて以来(1),情報が期せずして集まり,その中には余り知られていないこともあるのでそれらを後援会兄姉に披露して,批判を仰ぐことも一方であるという思いが本稿を認める動機となった。

ところで,ゲーテの植物変形論(Metamorphose der Pflanzen)の結論である「花は葉の変形したものである」という主張が,最近の分子生物学によって証明されたという記事がNature等の記事として何度も登場しているように,この話題は極めて現代的である。世界的文豪の行なった植物での研究成果が没後170年にしてその機構が分子レベルで証明されることは驚異的であり,その背景を探ることに興味をそそられたのも動機のひとつである。丁度そんな折,ゲーテと植物について書かれた手ごろな冊子(2)が手に入った。かつてのドイツ植物学会誌編集長であるリュトゲ(U. Lüttge)教授を介してである。紐解くと新しい調査に基づく知見も見られた。そこで,この概要を他の情報と合わせてみたら興味があろうと思ったことが,上記の動機を更に一歩進めさせた。

1.ゲーテと植物

ゲーテが晩年の述懐として,“自分は詩人としては世間に知られるようになったが,植物の研究について如何に多くの努力を払い,時間を費やしてきたかについて知られていないことは残念である”と述べていることを知ったとき,一体ゲーテにとって植物とは何であったろうか,というのが最初に浮かんだ疑問であった。実際,ゲーテは幼時から植物に親しむ環境にあった。フランクフルトでの幼年時代には園芸に親しみ,また蚕にクワを与えて飼っている。長じて大学遊学の時代にはライプチッヒ,シュトラスブールで植物に親しみ,植物学者とも交わった。そして,ワイマールでアウグスト大公に仕えていた時代には,公的に植物園の運営の指揮をとるとともに,私的な庭でも植物を育成していた。また,植物標本を集め,自然科学書を収集した。今日残っている標本は1800点に達し,当時としては傑出した収集品であった。ただし,自身で収集したというより,収集家より購入したりあるいは身近な人に集めてもらったらしい。立場上イェナ大学の図書館の充実にも努めたが,自らも5000冊余の蔵書があり,そのうち自然科学関係は1270冊を数えている。さらにその中で狭義の植物学書は150冊である。しかし,それが植物変形論を著すようになり形態学の創始者といわれるようになったのは,イタリア旅行(1786/1788)がきっかけであった。南国の植物の多様性に驚き,感動し,そこから植物形態に関する洞察が始まった。旅行に際して,リンネ(Carl von Linn?)の著した分類に関する著書を数冊携行し,従者であり,植物に造詣の深いディートリッヒ(F. R. Dietrich)の助けも借り,植物名の同定に活用した。しかしながら,ここで興味あるのはリンネへのスタンスであるが,それは後述する。文豪が終生植物に親しんだというのは事実であるが,単なるホビーではなかったところがすさまじい。それでは,ゲーテにとって植物変形論の考えに達し,そして形態学の祖となっていったその原点とは一体何であろうか。

2.ゲーテとリンネ

ゲーテがイタリア紀行に際して携行した行李の中にはリンネの植物哲学(Philosophia botanica)を始め数冊あり,途中で出あった植物の同定に用いた。丁度その頃発表された分類体系の具現者の著作を新知識として積極的に取り込んだのであり,その時点では植物の師であった。ところが,やや後年になってゲーテが述懐しているのは,「リンネからは多くのことを学んだが,植物学は学ばなかった」であり,一見いかにも逆説的である。上記冊子(2)では,ゲーテは植物の発生を調べ多様性への驚きを表しているが,その統一原理を理解したいという姿勢が形態学を生み出した。主として観察と調査によってであるが,実験的手法を用いている。一方,リンネの形に関する主張はほとんど荒唐無稽といってよいほどで,植物と動物の生殖器官を対比するようなことを真面目に行なっており,器官の対比も全く恣意的である。このため,リンネに対するスタンスは時間とともに変遷し,ある時期には尊敬するリンネとそうでないリンネが存在し,一種のアンビバレンツの時期があった。それを乗り越えたのが変形論の完成であり,リンネはそれが成立するためのきっかけであり,ばねであったということもできよう。これに対して,大変興味深いことに自然を愛したルソー(J. J. Rousseau)には,終生尊敬の念を抱き続けた。事実,植物の育成から標本の作成法まで,ルソーは変わらぬ師であった。なお,ワイマールのゲーテハウスに残された資料によると,924点の標本はリンネの分類方式に従って24グループに分けられているが,後期の647点はより自然分類に配慮したジュシュー(A. L. Jussieu)の分類法に従って配列されている。植物園の植栽配置もジュシューの方式であったことは,上記の一つの現れであろうか。

3.植物変形論の成立

植物変形論が最初に登場したのは1790年であるが,その骨子は植物の側生器官は全て葉の変形であるということで,ギリシァ神話の変容の海神プロテウスになぞらえている。子葉,本葉,花を構成する花弁,ガク片,花冠,蜜腺等々である。このために様々な植物において発生段階のそれぞれ見られる葉の変化を調べるとともに,奇形の出現の様子や葉から花器官への移行の諸段階を調べた。また,葉の変化した器官と考えられるサボテンのトゲやウツボカズラの捕虫嚢についても探求の手を伸ばしている。だからといって,変化する様子を見ているだけで葉の変化の本質が分かるわけでもない。これらからイタリア紀行の後に書かれた「全ては葉からなり、この単純性故に葉の多様性が可能である」という有名な言葉が表わされるわけであるが,ゲーテはそこから統一的に括れる概念を考えていたのだろう。このように植物変形論は実験的背景を持ち,十分推敲された論考であり,決して一時の思いつきで書かれたものではない。従って,専門度の高い論文であり,素人向けのものでもない。述べられているところの骨子は植物の茎から派生してくる様々な器官の発生過程を調査し,花の構成する要素も徹底的に追及して得られた産物といえよう。

私自身変形論に接したのは今に始まったわけではないが,最近になって私どもの研究の一方向への追求の中で,水草の異型葉形成がある程度可塑的であることを知り,またホウセンカの花成が光周性に対してある程度可逆的に起こることなどを知ってから,変形論とは実に奥の深い原理であると実感するようになってきた。なお,ゲーテは変形論において形質発現の機構については,液性物質の勾配のようなものを考えており,それにより形態の多様性が発揮されると考えていたようであるが,それは当時としては仕方のないところである。今日それについては花のABCモデルが教えてくれるように遺伝子発現のユニットの組み合わせで花器官が形成され,葉の形態も独自な遺伝子発現の結果であることはここで改めて繰り返さない。

ところが,この時代を超えて命を保っている植物変形論成立とその発表には様々なドラマがあることが明らかとなっている。ゲーテは,1788年に友人に変形論の刊行を予告したが,その直後スプレングラー(C. K. Sprengler)に同様な内容の出版計画があるということを聞きつけ,自身の発見が一番乗りではないのではないかとややあせって出版に取り組んだということである。ところが,実際に出版されたスプレングラーのものは似て非なるものであったのでゲーテも初版が出たときには胸をなでおろした。また,出版に際して図版は不可避ということで当初図入りで計画したが,ゲーテのそれまでの著作を手がけていた著名な発行人であるゲッシェン(G. J. Göschen)に断られた。その理由は文豪であるからといって,その成算もない趣味には付き合えないというものであった。そして,結局ゴータのエッティンガー(C. W. Ettinger)の手によって出版することとなったが,それはもっぱら文豪の他の著作を手がけたいがための打算からであったので,それも長続きはせず,後にはコッタ(J. F. Cotta)により出版されることとなった。結局,それらのいずれにも図版が載ることはなかった。準備された銅版画はゲーテの存命中に既にその行方が分からなくなっていたが,20世紀になっていわゆるゲーテハウスの石膏像の台座より,そのもととなる水彩画が発見された。このような状況が「私の植物の研究について世間はちっとも知らない」という述懐をもたらしたのかもしれない。

4.原植物(Die Urpflanze)と形態学

植物変形論について述べるとき,いわゆるゲーテの原植物(Die Urpflanze; archetypal plant)について触れざるをえない。原植物などどこにもありえようがないが,ゲーテは植物の原形のようなものを初期から追求していたが,イタリア滞在中に一層その思いは強くなっていった。シュタイン(Charlotte von Stein)夫人への南イタリア旅行の後の手紙はそのことを如実に物語っている。しかし,それは仮想のものでしかありえない。それが,結実するのは1794年にシラー(F. Schiller)と出会い,現実を重視するゲーテと理想主義追及の旗手シラーとの間のやり取りが原植物として結晶した。それが,一筆書きのように描かれる植物の模式図であり,いわば原植物の体現である。この図は今日教科書に様々な変形で表れるが,案外ゲーテに由来することは知られていない(図参照)。

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W. Trollにより描かれた原植物の例(出典:Vergleichende Morphologie der Höhere Pflanzen,第一巻,1937年).

そして,形態学はゲーテにより樹立された新しい学問領域であるが,形態学という言葉が初めて登場するのは1800年である。その概念はそれ以前から使われており,シラーとの手紙の中に登場しており,これもゲーテとシラーの共同作業の産物である。当初は,無機界も含むものであったようであるが,印刷された段階では生物のもののみを対象とした。

ところで,形態学というと日本ではどちらかというと微細構造のことを思い浮かべるが,ゲーテのそれは外部形態である。後援会のメンバーとして名を連ねている故熊沢正夫博士の「植物器官学」を除いてはゲーテの流れは希薄である。その著書で最初に述べられているように,形態学のその後の発展はゲーテの直系とも言うべきトロル(W. Troll)に負うことが多い。そのトロルの著書の翻訳が最近日本でも出版されたのは,植物の形態にはマクロの視野も不可欠であるという反省の産物かとも思っている。

(今回概要を述べることに専念したが,ゲーテの個別の植物に関する情報も多いので,次回はそれにふれようと思う。私の総括とゲーテの現代的意義が含められればいいと思っている-続く)

参考文献
1. 長田敏行 小石川植物園ニュースレター #18 (1999),#28 (2004)
2. S. Schneckenburger: “Goethe und die Pflanzenwelt” Palmen Garten, Frankufurt/Main (1999)

(ながた としゆき 東京大学教授)